アート&カルチャー

2024.08.29

【教養としての現代アートVol.5】新たなビジネスチャンスを切り開くアート思考

昨今のVUCAと呼ばれる不確実な時代の中、ビジネスパーソンの間で「アート思考」に対する関心が高まっています。AIが社会実装されていく時代の転換期、アーティストの常識にとらわれない自由な発想力と独創性はAIにも代替されない数少ないスキルであり「新たなビジネスチャンスを切り開く原動力」として注目を集めているのです。

本記事では「ビジネス×アート」の可能性についてさまざまな観点から探っていきます。

〈文=住友優太〉

 

「問い」からイノベーション創出につなげるアート思考

アート思考はデザイン思考とよく比較されます。しかし、クリエイティブの領域で用いられるアプローチをビジネスの世界に応用するという共通点はあるものの、両者は本質的にまったく異なる手法です。

デザイナーの課題解決能力に着目し、それを体系化したデザイン思考は、課題に対してユーザー(他者)と同じ視点から合理的・論理的なアプローチで解決していきます。具体的には「共感」「定義」「概念化」「試作」「テスト」という5つのプロセスを何度も繰り返す「課題改善型」の思考法です。

対して、アーティストが作品を制作する過程の思考ロジックをビジネスシーンに応用したアート思考は、自らの感性を軸に生みだした「問い」の具現化を通して、新たなイノベーションの創出を目的としたフレームワークです。アート思考を定式化したプロセスはまだ確立されていませんが、凸版印刷と京都大学の共同研究で開発された「アートイノベーションフレームワーク(TM)」では、「発見」「調査」「開発」「創出」「意味づけ」から構成される「問題提起型」の思考法と定義されています。

 

デザイン思考とアート思考は他者と自己、合理性と独創性、改善と創出という対照性を持ち、起点から目標にいたるまでのすべてのプロセスの中で一度も交わることはありません。

アート思考が注目され始めたのは2015年頃からといわれており、「ディープラーニング」と呼ばれる高度な機械学習機能を備えたAIが話題となっていた時期と重なります。今後AIの社会実装が進んでいくにつれて、AIが得意とするロジカルシンキングではなく、アーティストの既成観念にとらわれない自由な発想力や創造性がますます重要とされてくるでしょう。

 

「問い」を持つことの重要性

問題提起型の思考法であるアート思考において、原動力となるのは「問い」を立てる力です。「問い」は思考の飛躍によって生み出されるため、物事を批判的に捉える眼を養う必要がありますが、実際にアーティストはそのような習慣を身につけているのでしょうか。

ここからは半世紀以上前のアメリカで行われた興味深い実験についてご紹介します。

 

1964年、「クリエイティビティ」をテーマに研究をしていたシカゴ大学の心理学者ミハイ・チクセントミハイは、被験者であるシカゴ美術館附属美術大学の4年生、およそ40人を二つの大きなテーブルがあるスタジオへ連れていきました。

片方のテーブルには絵画の授業で使われる静物画のモチーフが奇抜なものから平凡なものにいたるまで27個置いてありました。チクセントミハイは「その中からいくつでも好きなものを選んで、もう片方のテーブルに配置して静物画を描く」よう学生に言いました。

すると、少数のモチーフを検証してすぐキャンバスに向かった学生がいた一方、いくつものモチーフを手に取っては何度も配置を思案し、静物画に取りかかってからも十分に時間をかけた学生もいました。

チクセントミハイは、前者の学生たちをモチーフの並びよりも絵の描き方を問題にし、どうすれば絵が上手く描けるだろうかと考えたグループに分類。一方で、絵の構想そのものに時間をかけ、納得するまでモチーフの配置にこだわった後者の学生たちを、与えられたモチーフの中から自らが望む世界を探求したグループとしました。ここで重要なのは、前者の学生は「課題解決型」に、後者の学生は個性の表現に苦心したという点で「問題提起型」に当てはまるのではないかということです。

その後、チクセントミハイが学生たちの作品を一堂に展示し、美術の専門家に評価を依頼したところ、「問題提起型」の学生の方が「課題解決型」の学生の作品よりもはるかにクリエイティブであるという評価が下されました。

さらに6年後、チクセントミハイは追跡調査を行い、被験者の学生たちが卒業後にどのような進路を歩んだのかを確かめました。すると、半数がアートの世界とはすっかり縁が切れていたものの、もう半数はアーティストとして活動しており、成功している者も多くいました。そして驚くべきことに、アーティスト活動をしていたほぼ全員が「問題提起型」の学生だったのです。

この実験を通してチクセントミハイは、自ら「問い」を作り出す力こそが創造性やオリジナリティに影響を及ぼすと結論づけました。

 

作品と対話する鑑賞法「VTS」

アート思考を養成するうえで最も効果的なのは、アート作品の鑑賞になります。中でも、80年代にニューヨーク近代美術館で開発された「VTS(Visual Thinking Strategy)」と呼ばれる鑑賞法は、「観察力」「批判的思考力」「コミュニケーション力」を育成するものとして幼児教育のカリキュラムにも取り入れられています。

VTSの大きな特徴は、作品に対する前提知識を一切必要としないことです。キャプションに載っているような年代や解説文をはじめ、作品名や作者名すら分からないまま、純粋に作品とのやりとりを行うのです。

ポイントは1つの作品あたり15~20分ほども時間をかけ、目に焼き付けるように集中して鑑賞することです。ここがVTSの最も大きなハードルですが、視覚から受け取る大量の非言語情報を処理し、無限に存在する解釈の中でしっかりと自分の言葉に置き換えることを意識するのがコツです。その間の脳は、右脳で捉えた視覚情報を左脳で言語化するという非常に高度で複雑な処理をしている状態であり、この時間に多く言語化すればするほど高い効果が期待できます。

また可能であれば、最後に誰かと意見交換をするとよいでしょう。他者の視点が加わることで解釈の幅が広がるため、より多くの気づきを得ることができ、思考の飛躍をもたらす柔軟な発想力につながります。

 

アート思考を取り入れた企業事例

NTTデータ

NTTデータは社会課題を起点に「問題意識」から「問いを立てる」手法としてアート思考に着目し、2020年1月~3月まで東京大学大学院情報学環と共同で「アート思考によるイノベーション創出手法に関する研究プロジェクト」に取り組みました。このプロジェクトではアーティストの制作過程を研究し、社会デザインのコンセプト策定プロセスに応用するアプローチを生み出しました。

(参照:アート思考~先行きが不透明な時代の思考法~ | NTTデータ | DATA INSIGHT | NTTデータ – NTT DATA

 

日本マイクロソフト

日本マイクロソフトは、ゼロからイチを生み出す視点やスキルを学ぶアート思考プログラム「Art Thinking Workshop for Flags!」を導入しています。変化する時代に向け、「自分らしい旗」を立て、クリエイティビティあふれる個人や企業を増やすことを活動指針とし、マイクロソフトの顧客である企業の新規事業担当者などを対象に、アーティストが講師となってアート思考を学ぶプログラム構成となっています。

(参照:ゼロからイチを創る思考を学ぶ Art Thinking Workshop 開催 – News Center Japan (microsoft.com)

 

凸版印刷

凸版印刷と京都大学は、アートと最先端テクノロジーを組み合わせてイノベーティブな社会的価値創造を目指す「凸版印刷アートイノベーション産学共同講座」を、2019年5月から京都大学大学院内に設置し、3年間にわたる共同研究を行いました。その研究成果の一環として、アーティストが作品を生み出す際の思考ロジックを基に、その作品作りのプロセスを5段階に分けてビジネスシーンに応用し、全く新しい価値を生み出すことを目的とした思考法「アートイノベーションフレームワーク(TM)」を開発しています。

(参照:凸版印刷と京都大学、アート思考による新手法開発で人財育成を支援 | 凸版印刷 (toppan.com)

 

まとめ

現代のビジネスシーンにおいて、アート思考は新たなイノベーションを生み出す重要なフレームワークとして注目されています。デザイン思考がユーザー視点を重視し、課題解決に向けた合理的なアプローチを取るのに対し、アート思考は自己の感性を軸に新たな「問い」を生み出し、ゼロからイノベーションを創出する問題提起型の思考法です。これから本格化していくとみられるAI新時代においても、人間が持つ創造性を最大限に引き出すアート思考はAIに代替されないスキルとして成功の鍵となるでしょう。

 

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